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手の中に写真が収まっているという心地よさと本を作るという熱量
最近、2冊の写真集を手に入れました。
一冊はアンセル・アダムスの「IN THE NATIONAL PARK」、もう一冊は川野恭子の「山を探す」の2冊。月並みだけど、写真が実在の物体として手の中に収まるという感覚は「強い」んですよね。とても強い。
ギャラリーで大きなプリントを眺めるのももちろん素敵な時間ですが、自宅のリビングでくつろぎながら手の中にある写真をゆっくりと眺めていると「あぁ、ここが見たかったんだな」とか風景や自然の中の「ここ良くない?」って問いかけが聞こえてくるようで、しみじみと「いいなぁ…」なんて声がこぼれてしまう。
風景写真はとかく演出の度合いや表現方法が荒れがち(最近もSNSではちょっと荒れてましたが)だけど、「IN THE NATIONAL PARK」をめくると「これでいいんだよ。いや、これがいいんだ。」というストレートな被写体への賛美が溢れています。私自身もそれがシャッターを切る動機なんだとあらためて気付かされましたし、「あーだこーだ考える前にモノクロで色を見せてみろよ」と語りかけられている気がします。
川野さんは山と写真についてお話しさせていただく機会が先日あって、山との距離感や何を見ているのか、その時の言葉が実際の本(表現)として語りかけてくるように感じます。綴じがなくつづら折りに紡がれたページに淡々と並べられる写真。この形で伝えたい、表現したい世界がある。これが写真を本にする熱量なんだなと本を持つ手が熱くなります。
そんな熱量にあてられて2020年は私も本を作りたいな、なんて気持ちでうどんを買いに行ってきます。