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版画で100年前の世界を旅する─吉田 博 全木版画集
予感
Amazonで買物をしていた時、ふと目に留まった画集があった。劔岳らしき山を望む場所でテント泊している版画が表紙の「吉田 博 全木版画集」だ。劔岳とテントというモチーフもさることながら、浮世絵的に複雑なトーンを重ねた作品群が押し寄せてくることを予感させるタイトルに強烈に惹きつけられその場で購入した。
波濤
届いた264ページにおよぶ画集はずしりと重く開く前から期待が高まる。
一目惚れした表紙は期待していたとおりの仕上げで、ページをめくればさらなる興奮が待っているのが伝わってくる。「この画集を手に入れて良かった」という思いを確かにしながら表紙を捲った。
息を呑むとはこういうことだった。そこには自分が写真で追いかけていた世界があった。
淡々と、自然体の風景。それでいてしっかりと視点を感じるひとつひとつの作品。版画は絵画のひとつで、版を彫るときにモチーフや背景の様子はいくらでも作り込める。それなのに極めて自然に切り取ったように描かれていて、ページを捲るたびに衝撃が波濤のように押し寄せる。
相似
似たような印象を受けたことが以前にもあった。アンセル・アダムスの写真集を手にしたときだ。そんなことを考えながら開いたページを見てさらに大きな衝撃を受けた。
エル・キャピタンだ。
慌てて本棚からアンセル・アダムスの写真集をひっぱりだして並べてみた。
季節こそ違えど、まるで相似だ。1925年と1968年で両者の間には40年ほどの隔たりがあるけれど、この場所(マーセド川の中州)から大岸壁を望む眼差しにただ似ているという以上の何かを感じた。これ以外の作品にも両者に通底する視点(とそこからくる構図)を感じて、なにか接点があるのではないかと辿ってみた。
洋画家・版画家の吉田博と、アダムスはヨセミテ国立公園を通じて交流があった。息子、孫の代になっても交流は続いている
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO70480910Q1A330C2BC8000/
日経Web版の会員向け記事なので核心の一部のみの引用とするけれど、まさに接点があった。方や版画、方や大判カメラとツールは違えど、目の前の風景を素直な構図に収めていくプロセスに、互いに共感するところがあったのだろうか。
100年前の世界を旅する
さて、吉田博とアンセル・アダムスに交流があったこと、両者の相似した作品によって吉田博の作品が風景写真に通じる写実性があることも分かった。ということは画集に収められる他の作品も作られすぎない当時の風景であることもイメージできる。
そう考えるとこの一冊で100年前の世界を豊かな色彩を伴って旅ができる本と呼んでみると、よりいっそうページを捲るのが楽しくなってくるじゃないか。
ちなみに……
100年前も今の人も、好きな風景はそんなに変わらないようだ。