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桜を横目にミュシャ展を鑑賞
4月8日の土曜日。都内では桜がピークの週末でしたが、天気はあいにくの曇り時々雨予報。
今年はすでにそこそこ桜を楽しめているし、あいにくの空とはいえ世の中が桜に気をとられている隙に新国立美術館で開催されているミュシャ展を観ておこうと行ってきました。
今回のミュシャ展の目玉はとにかく「スラヴ叙事詩」でしょう。描かれた人物がおおよそ等身大という巨大なキャンバスの20点におよぶ作品群にはただただ圧倒されました。それなりに混雑はありましたが、桜に人が流れてくれたおかげで比較的自由に鑑賞距離をとりながら楽しむことが出来ました。
ミュシャの作品や展覧会自体は実際に足を運ぶのがベストですので、その周辺の情報について書いておきたいと思います。
鑑賞前に腹ごしらえ
さて、鑑賞の前に・・・
家を出るのが少し遅くなり、六本木に着いたのがお昼前でしたので鑑賞前に腹ごしらえをすることに。入ったのは通りがかりに気になった蒼龍唐玉堂という担々麺の店。メニューにあった無頼漢担々麺というのも気になったのですが、やや日和って紅麻辣担々麺。(無頼漢が5、紅麻辣が4の辛さ表示でした)
見た目通りに非常に辛い!美術鑑賞の前のチョイスとしてはどうかと思うのですが、舌に執拗に絡みついてくる麻辣の辛味と濃い味に後半ややたじろぎつつも、ちゃんとダシの味も生きてる辛さでお腹は大満足です。
通りすがりに急に担々麺腹になってしまいあまり調べずに六本木店に入店しましたが、新国立美術館のすぐそばにも同じ文字を見たような?と思って調べてみたら、龍土町店が目の前にあったのですね。次回はこちらに行ってみようと思います。
木に登った水玉 2017
さて、腹ごしらえを終え新国立美術館へ向かってみると、有名なファサードの前は草間彌生による「木に登った水玉 2017」という作品で彩られていました。すっきりしない空模様と新緑を背景にクネクネと踊る鮮やかな水玉というコントラストは単純に面白い。
霧で霞むファサード
前庭の水たまり。ほわほわしているのは桜の花びらです。望遠(MP100をE-M1 MarkIIにマウント、200mm相当です)でのスナップなので玉ボケみたいになってしまいました。
そこから目を上げてみると、曇って白い空へ溶け込んでいくようなファサード。
内部も開放的で実用的だった
あまり外でキャッキャやっててもというわけで、目的のミュシャ展のために中へ入ったところで内部にも驚きました。私が仕事のためにいつも乗り降りする副都心線・東急線の渋谷駅、ここと同じように(というと失礼かもしれないけれど)ルーバーや大きな吹き抜けが特徴的な建物です。
しかし渋谷駅は1年も経たないうちにルーバーに埃が溜まり広角で撮っても目立つ程。おまけにエスカレーターや階段なども(完成すれば解決するのかも知れませんが)明らかにキャパシティーが足りていないのに対し、新国立美術館は10年経つというのに埃も目立たちませんし人の流れもスムーズに感じます。もちろん、目的を異にする建築物なので単純な比較は出来ませんが、実用を重視して欲しい駅でそれがなされず、一方の美術館が実用的であるというのは皮肉です。
これだけのボリュームのあるコンクリートの構造体なのに圧迫感を持たないのはさすがです。
ところで、ここへやってくると皆さん上階からパチリとやるのがお約束のようなので・・・
スラヴ叙事詩は圧巻だった
ようやく目的のミュシャ展です。昨年行った若冲展では大型の作品も離れて鑑賞することができず、よくできた図録で後から慰めるみたいなことになったので、特に大きな作品がメインに据えられているこの展示でも懸念していたのですが(この日に限っては)杞憂に終わりました。
この写真は唯一撮影可能となっていたエリアで200mm相当の望遠レンズで撮ったものです。大体作品の90%ぐらいは収められていると思いますが、注目度の高い展示において望遠でこんな撮り方ができたということが驚きでした。新国立美術館すごい!
展示の様子はこんな感じ。
(作品のイメージを左右しないようにおとなしめに現像しています)
ちなみに今回のミュシャ展の図録はちょっとがっかりでした。というのも、展示と同じくスラヴ叙事詩がメインのコンテンツなのですが、変な気を利かせて見開きになのです。ええ、見開き。つまり作品がガッツリとのどの部分で分割されるわけですね。この点については若冲展は非常にうまかったと感じます。展示自体の鑑賞環境がうまくないことを読んでいたのか、大きな作品は見開きではなく折り返しで対応していたのですよね。
描かれる人々の力強さ
あーだこーだと細かいことを語る蘊蓄も持ち合わせていませんし、実際に自身の目で見て感じることが全てだと思いますが、ひとつだけ強烈に感じたのは「尊厳」というワードです。
美しい色使いや装飾、精緻な描写、そういったものがいわゆるミュシャのイメージだと思います。しかし、巨大な空間に展示される巨大な作品群にはそれらのイメージはあまり見当たらず、ただただ強烈に「尊厳」というワードを突きつけてくる、そんな風に私は感じました。